結婚は人生の墓場? モラハラ妻に苦しめられた作曲家の悲哀とは⋯⋯ハイドンとチャイコフスキーの場合
天才芸術家の私生活
■オトコ遍歴を夫にひけらかし、精神病棟で生涯を終えたチャイコフスキーの妻
続いて紹介するのは、おそらく日本では三本の指に入るであろう人気作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの妻である。
チャイコフスキーが同性愛者だったことはよく知られている。そんな彼が結婚したのは1877年、37歳の時。相手は自身が教鞭をとるモスクワ音楽院の学生アントニーナ・ミリコーヴァだった。彼女から「あなたなしでは生きていけない」という熱烈なラブレターをもらってから、わずか2カ月のスピード婚であった。
モスクワの音楽界ではチャイコフスキーの性的嗜好に関するウワサがささやかれていた。当時、同性愛は最大のタブーで、当局に知られればシベリア送りになるほどの重罪であり、何としてもこのウワサを打ち消す必要があった。ようするに、同性愛者であることをカムフラージュするための偽装結婚だったのである。
これはチャイコフスキーの方がヒドイ気もするが、アントニーナにも問題はあったらしい。知性が低く、精神は不安定で感情的。爪を噛む癖があり、手紙に血の跡がついていたというから、何だかコワい。
チャイコフスキーにとって、新婚生活は絶望感に満ちたものだった。結婚式の数日後には、早くも「ぞっとするほどの精神的苦痛」を感じるようになり、突然涙にむせんだり、叫び出したい衝動にかられるようになった。精神を病んだチャイコフスキーは、アパートを出て街をさまよい、氷のように冷たいモスクワ川に半身を沈めた。さいわい、途中で正気を取り戻したが、ずぶぬれで家に帰った彼は、妻に「魚をとろうとして川に落ちた」とみじめな言い訳をしなければならなかった。何とも哀れな話である。
アントニーナが自身に無関心であることも、チャイコフスキーをいらだたせた。妻は彼の作品の旋律を何一つ知らず、演奏会にもまったく顔を出さなかった。家庭ではよくしゃべったが、話題はいつも彼女を愛した男たちの話に行きつくのだという。
結局、結婚から数週間で2人は別居状態となった。それでも離婚しなかったのは、アントニーナが彼の「秘密」をバラすことを恐れたためであったといわれる。
チャイコフスキーがこの不安から解放されるのは、結婚から4年後のことである。別居中のアントニーナが愛人をつくり、子どもまでもうけたのだ。当時、不義の子をもうけることは、誰にも明かせない醜聞であった。アントニーナの弱みを握ったことで、チャイコフスキーは身の安全が保障されたのである。
その後、アントニーナは複数の愛人の子を生んだが、みな孤児院に預けられたという。彼女自身は精神病院に入れられ、約20年におよぶ入院生活のすえに亡くなった。

チャイコフスキー イラスト/AC
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